実験実習機器センター 森腰正弘
12日(月)朝の機器センターのミーティグ中、小泉先生の突然のご逝去の連絡を受けたときは、「え、亡くなられた!」と思わず声がでて、愕然としてしまいました。
肺炎にともなう呼吸不全のため午前2時に亡くなられたと言うことでしたが、実はその前の週、センターの技官それぞれがお元気な小泉先生と年頭のご挨拶を交していたのです。
小泉先生は、平成4年から6年までの2年間実験実習機器センター長を務められ、実験実習機器センターのためにご尽力を頂きました。又この間、色々とご指導をも頂いております。
私にとりまして小泉先生は、節目、節目にお世話になった数少ない「わが人生の恩師でありまた師匠」の一人でありました。
富山大学から富山医科薬科大学に異動したとき小泉先生に誘われるままに、スキー、野球、水泳、ボーリング、テニス等をやり始めてから20年、今でも続いているのは春から秋までの早朝テニス、冬はバトミント、スキーだけですが、それも小泉先生が薬学部長になられてから二人でプレイする機会はめっきり少なりました。
時には、お忙しい中、愚痴さえも笑顔で聞いてくださいました。それもこれも今では懐かしい思い出の一つとなってしまいました。
学者としての先生は研究面では、非常に厳しい態度で臨まれましたが、プライベートな面ではやさしく、思いやりのある方で教職員、学生に敬愛されておられました。そして、病気のことなどおくびにも出さず、薬学部長として手腕を発揮され、亡くなられる間際まで学生のことを心配しておられたと伺い、更に畏敬の念さえ感じます。スーパーマンのような小泉先生が病気で亡くなられると夢にも思いませんでした。お亡くなりになる数日前、元気な姿を拝見しているだけに今でも信じられない気持ちです。
小泉先生のご冥福を心かお祈りいたします。